スピッツ的透明感と“令和型”シンガーの資質
きゃないという名前を初めて聞いたとき、多くの人はインディーのシンガーソングライターを思い浮かべるだろう。実際、彼は大阪・天王寺での路上ライブからキャリアを始め、SNSを足場にリスナーを増やしてきた、いわば“令和型の叩き上げ”である。
だが、きゃないの強みは、単なるネット発のアーティストという枠には収まらない。90年代J-POP、とりわけスピッツ的な透明感と、現代のリスナーが求める即効性の高いフレーズを同時に手にしている点にある。
「バニラ」を初めて聴いたとき、思わずスピッツのコピーバンドかと思ってしまった――この感想は決して的外れではなく、結構、多くのリスナーが同様の印象を持っているようだ。
浮遊感のあるメロディ、過度に感情を煽らない歌唱、少し切なさを帯びたコード進行。これらは確かに日本のギターポップの正統的な系譜に連なっている。しかし「バニラ」が単なる懐古趣味に終わらないのは、歌詞の書き方が極端に“今”だからだ。
甘い言葉に混じる「嘘」と「影」
生まれてきた意味は君なんだよ
君の事愛してる 全てを
こうしたフレーズは、文学的に見れば驚くほど単純である。比喩もひねりもない。ただ、好きだ、君がすべてだ、と言い切るだけだ。この潔さは、深読みを許さない代わりに、リスナーの感情へダイレクトに触れてくる。いわば、複雑な感情を複雑な言葉で書くのではなく、複雑な感情をいちばん単純な言葉で包み込むタイプのラブソングなのである。
その中で、ひときわ異物のように響くのが「居心地の良い嘘だらけの世界」という一節だ。
甘い愛の言葉の連なりの中に、このフレーズが置かれることで、楽曲は一気に現実の影を帯びる。愛とは、しばしば自分に都合のいい幻想を共有する行為でもある。相手を信じることと、見ないふりをすることの境界線。その曖昧さが、この一行に凝縮されている。
バニラの香りに閉じ込められた切なさ
「バニラ」というタイトルも、この二重性を象徴している。バニラは甘く、万人に好かれる香りだが、きゃないはそれを“恋人の香水の匂い”としてこの曲に持ち込んだ。しかもバニラの花言葉は「永久不滅」でありながら、花自体は非常に短命である。永遠を願いながら、いつか終わることを知っている――この矛盾が、楽曲の核にある。
実際、「バニラ」には“死別した恋人に会いに行く”という裏設定があると言われている。それを知ると、あのストレートすぎる愛の言葉は、甘ったるい告白ではなく、失ったものに向かって何度も繰り返される祈りのように聞こえてくる。だからこそこの曲は、ただ幸せなだけのラブソングではなく、ほのかな痛みを帯びて胸に残る。
メロディは非常に歌いやすく、音域も無理がない。「カラオケ向き」で、誰が歌ってもそれなりに“いい曲”に聞こえる設計になっている。だが、それは裏を返せば、誰かの物語として歌える余白が大きいということでもある。自分の恋、自分の後悔、自分の喪失を、このシンプルな言葉に重ねることができる。
きゃないの「バニラ」は、甘い香りの奥に、どうしようもない切なさを閉じ込めた楽曲だ。スピッツ的な透明感と、令和的な率直さ。その交差する地点に生まれたこの曲は、何度も聴くほどに「甘さ」が「痛み」に変わっていく、そんな余韻を持っている。


