単館ロードショーのように始まる一曲
イントロが流れた瞬間、頭に浮かぶのはシネコンではなく、街の片隅にある単館ロードショー館だ。少し色褪せたポスター、静かな客席、物語が始まる前のわずかな緊張感。「猫にジェラシー」は、そんな“映画の予感”をまとって始まる。そこはかとないレトロ感が、この曲の空気を決定づけている。
この楽曲は、あいみょんが公言して憚らないリスペクトの対象、スピッツ・草野マサムネの「猫になりたい」をどうしても想起させる。もっと踏み込めば、「猫にジェラシー」はアンサーソングのような位置に立っているとも言えるだろう。草野が“猫になってでも寄り添いたい”と願ったのに対し、あいみょんは“猫に向けて嫉妬してしまう自分”を描く。その視点のズレが、実にあいみょんらしい。
設定はおそらくシンプルだ。恋人が、自分以上に飼い猫をかわいがっている。その事実に、言葉にしにくいモヤモヤを覚えている。だがこの曲が巧みなのは、その感情を正面から「嫉妬」だと言わないところにある。猫という無垢な存在を媒介にすることで、恋人への執着や独占欲を、どこか可笑しく、そして愛おしいものへと変換していく。
静かなリズムが残す、短編映画の余韻
淡々と刻まれるリズムも印象的だ。感情を煽り立てることはしない。むしろ、感情を抑え込むような落ち着いた運びが、逆に心の奥に沈んだ本音を浮かび上がらせる。大声で叫ぶ愛より、ふとした瞬間に漏れる小さな本音のほうが、ずっとリアルだということを、あいみょんはよく知っている。
「猫にジェラシー」というタイトル自体が、この曲の核心だ。恋人への愛情を、あえて猫への嫉妬として語る。その婉曲さが、照れや不器用さを含んだ等身大の恋を成立させている。直接「好き」と言わないからこそ、そこに滲む感情は濃い。
聴き終えたあとに残るのは、強烈なサビでも名言でもない。けれど確かに、一本の短編映画を観たあとのような余韻がある。派手な展開はなく、静かに始まり、静かに終わる。それでも心のどこかに、小さな引っかかりを残していく。
「猫にジェラシー」は、嫉妬の歌でありながら、同時にとても優しい愛の歌だ。猫に向けた感情の裏側に、どうしようもなく人間的な恋心が、そっと隠されている。あいみょんというソングライターの、観察眼と距離感の巧みさが、静かに光る一曲である。


