「渋谷の街に朝が降る」
「渋谷の街に朝が降る」
YOASOBIの「群青」を語るうえで、この一節ほど象徴的な言葉はないだろう。
朝が来る、ではない。朝は“降る”のだ。
この比喩の鋭さは、徹夜を経験したことのある人間なら、身体感覚として理解できる。夜から朝への移行は、映像のカットイン・カットアウトのように切り替わるものではない。光がにじみ、空気が変わり、疲労と現実がじわじわと染み込んでくる。その重たさごと、朝は降ってくる。「群青」は、その“ありきたりな日常の重さ”を、冒頭の一行で見事に掴み取ってしまう。
創作するすべての人へ向けた応援歌
「群青」は、YOASOBIのコンセプトである“小説を音楽にする”という枠組みの中で生まれた楽曲だ。原作は、画家を志す若者を描いた漫画・小説世界観に基づくもので、「描くこと」「表現すること」への葛藤が物語の核にある。
しかし、この曲が特別なのは、テーマが画家や芸術家に限定されていない点だ。
ものを作る人間――エンジニア、作家、音楽家。あるいは高い目標に向かって努力を重ねるアスリートや受験生。何かに本気で向き合ったことのある人なら、誰もが自分の物語として聴ける。
「感じたままに描く
自分で選んだその色で」
ここで語られる「選ぶ」という行為は、単なる自由ではない。それは覚悟だ。
続く「好きなものを好きという怖さ」が示す通り、自分の道を選ぶことは、同時に恐怖を引き受けることでもある。Ayaseは、その怖さを誤魔化さない。むしろ、「怖い」からこそ、それが本物なのだと突きつけてくる。
手を伸ばすほど、遠ざかる感覚
努力すればするほど、ゴールが遠ざかるように感じる瞬間がある。
手を伸ばせば伸ばすほど届かない。その感覚は、悪戦苦闘する芸術家や、限界まで自分を追い込むアスリート、結果を求めて勉強を重ねる受験生なら、誰もが知っている感情だ。
悔しさ、情けなさ、涙が出るほどの無力感。
「群青」は、それらを美化しないまま、正面から描く。それが胸を打つ。
世間はよく言う。「好きなことをやれていいよね」と。
だが実際には、楽しいことよりも、むしろ苦しいことのほうが多い。「しがみついた青い誓い」とは、自分自身に課した目標であり、信念であり、逃げ道を断った証だ。
不安こそが、積み重ねを生む
「何枚でも何枚でも
何回でも何回でも」
そう自分を突き動かしてきた原動力は、不安だ。自信ではない。
だがAyaseは、その不安の積み重ねこそが「武器」になると語りかける。
今でも自信なんてない。それは、本気で自分と格闘してきた人間だけが到達する境地だ。だからこそ、
「大丈夫 行こう
あとは楽しむだけだ」
という一節は、軽い励ましではなく、同じ地平に立つ者からの言葉として響く。
「透明な僕」への否定と、色彩の回復
「あの日の透明な僕」は、この社会の中で存在感すら持てなかった自分自身だ。
Ayaseは、その自己像を強く否定する。「かけがえのない僕」なのだと、鮮やかな色を与える。
その色が群青なのかどうかは、正直わからない。
だが確かなのは、何かに挑む瞬間、この曲が確実に力を与えてくれるということだ。
試合前。
本番直前。
逃げ出したくなるその瞬間に、静かに、しかし強く背中を押してくれる。
「群青」は、努力の美談ではない。
不安と恐怖を抱えたまま、それでも前に進む人間のための、極めて誠実な応援歌なのだ。



