「めんどくさい女の本音」を歌う7coという存在

7co(ナナコ)は、いわゆる「いい子のラブソング」を歌わないシンガーソングライターだ。
透明感のある声質とポップなメロディを持ちながら、歌詞の中身は容赦なく湿っている。SNS世代の等身大の感情、しかもできるだけ“かっこ悪い部分”をそのまま言葉にしてしまうのが彼女の持ち味だ。

「恋愛後遺症」は、その資質が最も生々しく結晶化した一曲である。

もしこれを幾田りらが歌えば、きっと“純度の高い失恋ソング”になるだろう。
だが7coが歌うと、こうなる。
未練、嫉妬、自己嫌悪、恨み、そしてまだ消えない愛情がごちゃ混ぜになった、“めんどくさい女の本音”として響いてくる。

この曲が描いているのは、恋愛の終わりの中でもいちばんつらいやつだ。
男は別に恋人を作り、二股をかけていた。
もう気持ちはないのに、関係だけは惰性で続いている。
そんな末期状態の中で、彼女はすべてを悟りながらも、まだ好きでいる。

恋愛を“ケガ”として描く、「恋愛後遺症」というタイトルの秀逸さ

タイトルの「恋愛後遺症」が秀逸なのは、失恋を“ケガ”として捉えているところだ。
治ったはずなのに、雨が降ると痛む。
思い出したくないのに、ふとした拍子に疼く。
それが、この恋なのだ。

キンピラ=私、という残酷な比喩もうまい。

君はさ冷蔵庫のキンピラ腐らせてすてちゃんだろうな

この一行で、二人の関係性が一瞬で立ち上がる。
キンピラという家庭的なワードが示すのは、「同棲するくらい近い距離」であり、「日常を共有していた恋」だ。

でも、もう彼は彼女の料理を食べない。
気持ちがない女の作った手料理なんて、冷蔵庫の奥で忘れ去られ、腐って捨てられるだけだ。

ここでキンピラは、完全に“私”のメタファーになる。
愛されなくなった彼女自身。
まだそこにあるのに、もう選ばれない存在。

7coの歌詞は、こういう残酷な比喩をさらっと投げてくる。

女の勘は、だいたい当たっている

タバコやめたのあの娘のためでしょ

この一行が怖い。
男は何も言っていない。
でも彼女は、もうすべてをわかっている。

だからこそ、感情は爆発する。

いつからだろう私じゃないの
なんでよ

取り繕った強がりでもなく、綺麗な別れの言葉でもない。
ただの、取り残された人の叫びだ。

そして、彼女はこの恋が自分の中にずっと残り続けることを自覚してしまう。

一生残りそうこの恋の後遺症

未練を断ち切る決意ではなく、
「消えないかもしれない」という諦めが、ここにある。

世田谷公園と、どうでもよかったバンド

2人で手を繋いで歩いた世田谷公園
君がLで私はRで

世田谷公園という固有名詞が出てきた瞬間、映像が一気にリアルになる。
散歩するカップル、イヤホンを分け合う二人。
あまりにありふれていて、だからこそ忘れられない記憶だ。

忘れたいけど口ずさむミュージック
別に好きじゃなかったバンド名

このフレーズが、この曲の核心かもしれない。
そのバンドが好きだったわけじゃない。
でも、それを一緒に聴いていた“君”が好きだった。

忘れたいのに、メロディだけが残る。
それはもう音楽ではなく、思い出そのものだ。

7coが描く“恋愛の後”

7coは、恋が始まる瞬間や、うまくいっている時間よりも、
終わった後のぐちゃぐちゃした感情を歌うのがうまいアーティストだ。

「恋愛後遺症」も、スッキリ前を向く歌ではない。
むしろ、未練と嫉妬と愛情が混ざったまま、前に進めずにいる心をそのまま差し出してくる。

それが、あまりに正直で、あまりに痛い。

だからこの曲は、失恋ソングというより、
「恋が終わったあとも続いてしまう感情の記録」なのだ。

聴き終わったあと、胸の奥が少しだけ重くなる。
それこそが、この曲が残した“後遺症”なのかもしれない。