身体が先に覚えているイントロの魔法
いい曲って、理屈より先に身体が覚えているものだと思う。
チャカ・カーンの 「I’m Every Woman」 も、まさにそういう一曲だ。
洋楽をあまり聴かない自分でも、なぜかこの曲は“たまに”無性に聴きたくなる。それはきっと、あのイントロだ。
シンセとリズムが立ち上がるあの瞬間、一般道から高速のインターに滑り込み、アクセルを踏み込む感覚がある。バックミラーに日常が小さくなっていく、あの疾走感。ドライブ中に流すと、音楽が速度を持ちはじめ、自分自身にも高揚感が生まれる。
「私はすべての女性」というメッセージ
「I’m Every Woman(私はすべての女性)」というフレーズは、誰か特定の女性像を誇示するものではない。恋人であり、友人であり、支え手であり、時に強く、時に脆い――“女性が内側に持つあらゆる可能性を引き受ける宣言”のような歌だという。
この曲を書いたのは、ソウル界の名コンビ、ニコラス・アシュフォードとヴァレリー・シンプソン。彼らのペンはいつも、個人の物語を、時代の空気にまで押し広げる力を持っている。だからこの曲は、自己肯定の歌でありながら、どこか普遍的で、聴く人の性別すら軽々と越えてくる。
そして、そのメッセージを成立させている最大の要因が、チャカ・カーンの存在感だ。
チャカ・カーンの声がくれる「説明しなくていい強さ」
チャカ・カーンは「ファンクの女王」と呼ばれることが多い。
70年代にバンド〈Rufus〉で注目を浴び、圧倒的な声量としなやかなグルーヴで、ソウル、ファンク、ディスコを横断してきた。彼女の声は、強い。けれど攻撃的ではない。むしろ包み込むようで、「私がここにいる」と言い切る説得力がある。
「I’m Every Woman」を聴いていると、
“自信を持て”と背中を押されるというより、
“最初からあなたは大丈夫だ”と肩に手を置かれる感じがする。
のちにホイットニー・ヒューストンがカバーし、90年代的な華やかさで再解釈されたことで、この曲はさらに広く知られることになる。けれど、オリジナルのチャカ・カーン版には、もう少し生身の熱がある。都会の夜気と、エンジン音に混じる汗の匂いのようなものが残っている。
だからこの曲は、ドライブに合う。
洋楽を聴き慣れていなくても、
歌詞を全部理解していなくても、
この曲がふと恋しくなるのは、きっとそれが「説明しなくていい強さ」を持っているからだ。
高速に乗るとき、
気持ちを切り替えたいとき、
自分を少し取り戻したいとき。
チャカ・カーンの「I’m Every Woman」は、
アクセルを踏む理由を、音楽で教えてくれる。


