名詞の持つイメージの喚起力-Bump of Chicken「天体観測」は名詞に多くを語らせた名曲
ディテールが文章の温度を決める
ディテールが細かいほど、相手の心に届く表現ができる。
中学生の作文には「部活」という言葉がよく登場するが、これなどは「バスケ部」「バレー部」と具体的に描写した方が、はるかに伝わる文章になる。ディテールにこだわること——それだけで、作文は数段グレードが上がる。
具体的に描写すること。これが、よい文章を書くうえでの基本である。
名詞はイメージのスイッチである
具体的に描写するうえで、名詞の働きは非常に重要だ。名詞には、さまざまなイメージが紐づいているからである。名詞を一つ挙げるだけで、受け取り手の中では複数の連想が一気に動き出す。
たとえば「カブトムシ」という名詞。辞書的には単なる昆虫の一種にすぎない。しかし多くの日本人はこの言葉から、「夏」「夏休み」「少年時代」「男の子」といったイメージを自然に思い浮かべるだろう。
「虫がいた」よりも「カブトムシがいた」と書く方が、その分だけ多くのイメージを相手に届けているのである。
虫をテーマにした作品を書くとして、カブトムシを選ぶか、セミを選ぶか、コオロギを選ぶかで、伝わる印象は大きく変わる。書き手は、この名詞の持つイメージ喚起力を常に意識しながら言葉を選ばなければならない。
こうしたことを考えるようになったのは、最近 BUMP OF CHICKEN の楽曲にあらためてはまっているからだ。
BUMP OF CHICKEN の藤原基央は、この「名詞」使いの名手の一人である(個人的には、槇原敬之がJ-POP界の名詞使いの頂点だと思っている)。
代表曲の一つ「天体観測」は、短い歌詞の中に短編小説のような世界を紡ぎ出しているが、それを支えているのは、まさに絶妙なディテールだ。
「午前二時」が呼び起こす感情
「天体観測」は
「午前二時 フミキリに 望遠鏡を担いでった」
という一節から始まる。
まず秀逸なのが、この「午前二時」という時間設定だ。主人公が少年だとすれば、午前二時は怖さと同時に、踏み込んでみたい好奇心を刺激する時間帯でもある。知らない世界の入り口に立ったような、高揚感とワクワクがこの言葉には宿っている。
「見えないものを見よう」「知らないものを知ろう」とする物語に、「午前二時」はぴったりの縁語なのだ。
フミキリというノスタルジアの装置
続いて現れるのが「フミキリ」という名詞である。天体観測をする場所としての踏切は、おそらくローカル線の単線電車を思わせ、聞き手を一気にノスタルジックな世界へと引き込む。
ドラマや小説において「駅」は、過去と未来が交差する「現在(いま)」のメタファーである。踏切もまた、その縮小版として、時間の交差点を象徴する場所だ。しかも駅よりも人けのない踏切だからこそ、静寂や闇のイメージがより強く喚起される。
「天体観測」の歌詞が「過去」「いま」「未来」を行き来することを考えると、「丘」でも「草原」でもなく「フミキリ」が選ばれた必然性が見えてくる。
「二分後」が描く二人の距離
歌詞はさらに、
「二分後に君が来た 大袈裟な荷物しょって来た」
と続く。
ここで光るのが、「二分後」という具体的な時間設定だ。「しばらくして」や「あとから」では、このリアリティは生まれない。たった二分という差が、二人の微妙な距離感と関係性を浮かび上がらせる。
このズレは、「天体観測」に誘い出したのが「僕」であること、そして「君」に何か特別なものを見せたいという少年の意志を、さりげなく伝えている。
さらに決定的なのが、「大袈裟な荷物」という表現だ。「大きい」ではなく「大袈裟な」であることに、この人物像のすべてが詰まっている。
初めての天体観測に向けて、「これも必要かな」「あれもあった方がいいかな」と用意周到に準備してきた様子が、この五文字に凝縮されている。そこから、真面目さ、ひたむきさ、そして「僕」との時間を大切に思っている気持ちまでが立ち上がってくる。
たった一つの形容動詞が、ここまで人物を描ける。藤原基央の言葉選びは、やはり驚異的だ。
名詞を並べるだけで、物語は動き出す
長くなったが、伝えたいことは一つである。
名詞には、イメージを呼び起こす力がある。
試しに、次の名詞を並べてみてほしい。
夏祭り、かき氷、屋台、浴衣
麦わら帽子、Tシャツ、草原、虫取り網
それだけで、行間を埋める物語や情景が、自然と立ち上がってくるはずだ。


