独身時代の宇多田の真骨頂

宇多田ヒカルのアルバム『Distance』は、彼女の独身時代の感性が最も純度の高い形で封じ込められた作品だと思う。
生きることの孤独と、それでも誰かを必要としてしまう人間の性(さが)を、感傷に溺れず、むしろクールに、時には残酷なほど冷静に歌い切ったアルバム。その意味で『Distance』は、J-POPの枠を超えて、現代音楽史に刻まれるべき一枚だ。

Amazonサイトより

いまの令和の音楽シーンが、アニメ的な記号や即効性のある感情表現に満ちているとすれば、宇多田ヒカルの音楽は、まるで手触りの良い名作映画のようだ。説明しすぎず、余白を残し、観る側(聴く側)の人生を静かに映し返す。その代表格が「For You」である。

孤独は、誰かがいるからこそ生まれる

「For You」は、どこか悲壮感を帯びたオープニングで始まる。そのイントロは、真夜中の高速道路をひとりで走っているときのような感覚を呼び起こす。街の灯りはあるのに、そこにいるのは自分だけ。スピード感と空虚さが同時に存在する、不思議な孤独だ。

そして宇多田は、いきなりリスナーの胸に冷たいジャブを打ち込む。

ヘッドフォンをして
人ごみの中に隠れると
もう自分は消えてしまったんじゃないかと思うの

このフレーズの鋭さは、「孤独」を「消えてしまった」という言葉で表現したところにある。ただ寂しいのではない。存在そのものが薄れていく感覚。しかも舞台は「人ごみの中」だ。人がたくさんいる場所に身を置くことで、逆説的に際立つ“誰ともつながっていない自分”。このビジュアルの切り取り方は、まさに映画的だ。

家に帰れば、散らかった部屋と、そこにいない「君」の存在が、自分の孤独をさらに浮かび上がらせる。別れた恋人なのか、うまくいっていない夫婦なのか、それは語られない。ただ「君」がいないことだけが、やけに重く、リアルに響く。

「一人じゃ孤独を感じられない」という真理

そしてこの曲の核心とも言える一行が来る。

一人じゃ孤独を感じられない

これは一見、逆説的だが、深く人間の本質を突いている。人は相対の中でしか生きられない。誰かがいる世界に自分が置かれているからこそ、「自分だけが取り残されている」という感覚が生まれる。一人きりなら、それが孤独なのかどうかすら分からない。宇多田はその構造を、恋愛という極めて個人的な物語を通して描き切っている。

「For You」はラブソングでありながら、実はきわめて哲学的な歌だ。
それは「あなたのために」生きたいという願いと、「自分のためだけには生きられない」という人間の宿命を、静かに、しかし容赦なく突きつけてくる。

『Distance』の中でも、「Addicted to you」「Wait & See」と並んで、この曲が特別な輝きを放つのは、その冷たさと温度のなさの中に、どうしようもなく切実な“誰かを求める心”が封じ込められているからだろう。

「For You」は、夜の高速道路を走りながら、ふとバックミラーに映る自分の孤独に気づいてしまった瞬間の音楽なのだ。